醤油プリン丼

そもそもプリンはあまり好きではない

来世のウニ、今世のガリ

「来世はウニになりたい」

よく呟く言葉だ。今世への諦観と来世への若干の図々しさを載せた一言なので気に入っている。先に言っておくけど今世とか来世とか頻繁に出てくるけど無宗教です。ちなみになりたい理由は「外見が尖っている」かつ「中身に価値がある」こと。

 

上記のようなことを言うとウニが好きなのか尋ねられがちだが、好きか嫌いかで言ったら好き程度だ。あったら食べるけれど、わたしが好物としてウニを挙げることはない。そもそも好きが高じてもネギトロや牛タンや抹茶パフェにはなりたくはない。

 

ではなぜウニになりたいか。これは前述した通り「中身に価値がある」からだ。

触るもの皆傷つけるような見目の強さにも憧れはある。形から入るタイプなのでわかりやすくロックなあの尖り方はカッコいいと思う。物理的に真似はしないけれど。
でもやっぱりなりたい理由のうちどちらがメインかと問われれば価値のある中身の方に傾いている。

多分、ウニと聞いたら寿司あたりの高価な食品が頭に浮かぶのではないだろうか。ウニというものは個人の好き嫌いに関わらず「高い」「希少」「良い」といったワードがセットで連想されがちなのではないかと思う。

わたしはそれになりたいのだ。

 

わたしは広く浅く、認められたい。

わたしはウニが羨ましい。だってこんなにも全国に価値があることが知られている。値段の割に美味しくなかったとしても、高値がつけられている。回転寿司の冷凍ウニには「ちゃんとした値段だったらおいしいのだろう」という評価が下される。「ウニ」というブランドに無条件に貼られるレッテルと価値と許容。わたしもそれになりたかった。

もはやウニに嫉妬している。

 

それでもわたしは今世ではウニではない。きっとこの人生がウニとして認められることはないだろう。わたしの一生はせいぜいガリ、良くても玉子(玉子巻きの方じゃなくて単体で置かれているやつ)止まりだろう。

 

今後もおそらく「来世はウニになりたい」と呟くことはやめられない。それがわたしなりの身の守り方と弁えていますアピールでもあるからだ。ウニになることも多分できない。ウニになれる人は大抵こんなところでウニになりたいなんて思っていないものだ。

だから目下の目標としては自分がガリであることと折り合いをつけることだろう。ガリだっていいじゃないかと思えるようになりたい。ガリも食べてみたら美味しい。そうやって好かれることに満足できるようになったら、寿司桶の隅で居心地が悪くなることもないのだろう。